最初に感じたのは、彼の香りだった。

「・・・かんねい、どの」

陸遜は夢の中にまだいる頭をどうにか叩き起こして、自分が今いる部屋の主の名を呼んだ。
周りはあまりにも静かで、今が何時なのかさえもわからない。暗くはない。まだ、昼すぎと言うところだろうか。
名を呼ぶも甘寧はそこにはおらず、ただただ陸遜の言葉が空気の中に消えていっただけだった。

「どうして・・」

陸遜はわけがわからず、それでもゆっくりと身体を起こす。その最中も、何度か声にならない声で痛みを我慢した。

身体の、あちこちが痛い。

むしろ身体の中で痛まないところが無いと言った方が早い。
陸遜は痛む身体を両の腕でなんとか押さえつけて、痛みが通り過ぎるのを待った。自然と息があがるのがわかる。ドクドクと、鼓動が早くなる。
もう薬は効果が切れているのだろうが、胃の辺りから言いようの無い気持ち悪さが襲ってくる。陸遜は眉をひそめた。

確かに自分はあのわけのわからない輩どもに暴行を受けたはずだ。しかしいくら受身もとれなくてダメージを受けたとしても、この痛みは尋常ではない。
どうして・・・、と思い、そして
理解した。

今はもう自由に動く両腕を見る。手首には、青黒い縄の跡が見えた。
ゆっくりと腕を動かして、そして、自分の服を見る。服は自分が最初から着ていたものだった。土や泥は払われて綺麗にはなっているが、甘寧の寝所を汚してしまうのではないかと心配になる。

そして、ゆっくり、と。上着を脱いで、自分の肌を見てみる。


「・・・・・・!!!!!」


陸遜が目にしたものは、自分の白い肌についた小さな傷と、

幾つもの、紅い跡。


「・・・っ・・か・・・んねい・・・どの・・」


最初に感じたのは彼の香り。
次に感じたのは、深い絶望。









ああ、自分は、名前も知らない誰かに、汚されたのだ。自分は。もう、綺麗な自分ではない。体中も傷だらけ。泥だらけ。顔にも痛みが走るからきっと自分は今ボロボロなのだろう。
自分が甘寧の部屋にいる理由はわからないが、考えれば予想はする事は出来る。
陸遜が最初監禁された所は、薄暗くてせまくて、しかも大分暴れたから建物の中はむちゃくちゃになっていたことだろう。だからきっと自分は男達に弄ばれた後、どこかに運ばれようとしていたのだ。そして、移動する際、偶然甘寧が自分を見つけてくれた。そして私を助けてくれて、・・・・・・



陸遜は、自分についた紅い跡を見て、手が震えているのを感じた。どうしようも無く震えている。どうしようも無く。頭の中が冷たくなる。息の仕方を忘れる。まだ、気持ち悪さは抜けない。



そして、陸遜は暫くそうして自分の震える手で自分の身体を抱きしめた後、ゆっくりと甘寧の寝所から降りた。1歩、また1歩と歩く度に、身体に痛みが走るが何とか自分に大丈夫だと言い聞かせ、歩いた。

とりあえず、この場から離れなければならない。とてもではないが今甘寧に会う勇気は無いしそんな度胸も無い。こんな姿を甘寧には決して見られたくは無い。例え甘寧に助けられて、甘寧に自分の無様な姿を見られたのだとしてもそれは耐えられない。今甘寧に会っても、自分は何をどんな顔で言えばいいのかわからない。

だから、ここからは早く離れて、自分の部屋に早く帰りたい。一日安静にしていれば具合もよくなるだろう。
明日は出陣だから。私は仮にも軍人なのだから女々しく伏せている場合でもない。


のそのそと歩き続け、陸遜はどうにか扉にたどり着いた。緩慢な動きで扉を開け、外にでる。

外にはなんとも言えない穏やかな空気が広がっていた。陽は相変わらず暖かく。陸遜は思わず眩しさに目を閉じた。

早く、離れよう。早く。ここから離れよう。

なるべく、普通に歩いて見せなければならないな。そう思って、陸遜は努力する。
なかなか足が上手く動かない。大丈夫、しっかり歩け。そう命令しながら陸遜は歩き・・


「っぁ・・」


一瞬、足がもつれてしまう。身体のバランスが崩れ、倒れそうになる。全ての反応が少しずつ遅れて・・


「陸遜!!!」


「!!!!!」


チリン、という鈴の音と共に、陸遜は、甘寧の腕に抱きとめられた。


心臓が、一気に悲鳴を上げる。鼓動がドクドクと早くなる。陸遜はまさかまさかと心の中で呟いて、そして顔をあげる。

「陸・・・・遜・・・?」


陸遜は、目を細めた。
そこには、意識を失う前に呼んだ、誰よりも会いたかった。誰よりも愛しい、
その、姿が。


「・・・か、・・ね・・・どの・・・」


陸遜は声にならない声で甘寧を呼んだ。甘寧は至極真剣な顔で陸遜を見つめている。
早く。
早く離れて。

でないと私の鼓動が貴方に聞こえてしまう。
でないと私の震えが貴方に伝わってしまう。
早く。私が泣いてしまわないうちに!!


陸遜は渾身の力でもって甘寧を押しのけた。
甘寧は驚くが、陸遜はその顔すら見ていなかった。深く俯いたまま、両の腕で甘寧を押して、そしてよろよろと立ち上がる。


そして、陸遜は笑った。
ゆっくり笑った。

彼が好きだと言ってくれた、笑顔とは少し、違うかもしれないけど。


でも、今出来る精一杯の笑顔で、笑った。



「ごめんなさい」



陸遜は、甘寧に背を向けた。そしてまたゆっくりと廊下を歩いていく。今できる最高の速さで歩く。
甘寧は呼び止める事も駆け寄る事も出来なかった。ただ呆然と陸遜の背中を見送る。



彼は、泣いていた?
甘寧は、暫くその場から動けなかった。










部屋に帰った陸遜は、一人で泣いた。泣いてどうなるわけでもないのに、それでも泣いた。せき止められていた川が洪水したかのうように、涙はずっと止まらなかった。

もう、自分は甘寧に好いてはもらえないという事実と、それでも甘寧の顔を見た瞬間嬉しくて嬉しくてどうしようも無くなってしまった事実。泣いて泣いて泣き通して、

そして、彼はその日、1歩も外に出ることは無かった。








そして、彼は次の日戦場に立つ。
両の腕に双剣を携え、一個隊を指揮する軍師として。

しかし、彼の目はもう、殆ど何も映してはいなかった。












長かった!!普通にこの話も2回で終わらせる気だったのですが世の中そう上手くはいかないみたいでした。何、5回ってなんでしょう。

ちょっと歯切れの悪い終わり方しました。甘寧と何かしらあると思ってくださった方もいらしたのですが、まだおあずけです(ひでえ)
次の話で多分今までの総答えあわせになるのではないかな・・と思います。
そして、9、10話でシメようと。上手くいくかなあ・・・。
残るは起承転結の結のみとなりましたが、もう少しだけこの駄文に付き合ってくださると嬉しいです。
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