必死になって 自分の気配を殺す。

数十メートル先にいる甘寧には、自分の存在は決して知られてはならない。だから陸遜は距離を詰めすぎず開けすぎず、物音を立てずに甘寧についていく事に必死だった。

そして当の甘寧と言えばさして神妙な面持ちというわけでも無く、少し早足でずいずいと街の中へと進んで行く。

陸遜はその広い背中を見つめながら、どうしてこんな事になってしまったのかふと冷静になって考えてみた。どうして自分は甘寧の後などをつけているのだろう。

こんな事、いつもの自分なら「そんな気持ちの悪い事が出来るか」と冷静になれているはずなのに。どうしてだろうか。ただ、ふと気がついたら足が勝手に動いていた。

昨晩、陸遜は甘寧が結婚するという話を聞いた。もちろん、聞こうと望んで聞いてしまった事ではなかったが。そしてその話の内容によると、今日甘寧はその相手に結婚の話をする、らしい。



そして、先程。
陸遜は偶然にも城を出て行く甘寧の姿を発見してしまったのである。
後ろ姿を見て、居ても立ってもいられなくなってしまって。


次の瞬間、書きかけの竹簡を放り出して陸遜はそっと尾行を開始した。


途中で何度も我に帰ったが、ここまで来たら後には引けないと陸遜は歩みを止める事はしなかった。我ながらどうかしていると何度も自己嫌悪に陥りながら。

しかし陸遜は、甘寧がその結婚相手に会って、話をしはじめたら真っ直ぐに引き換えそうと陸遜は思った。流石に人の求婚を盗み聞きするほど愚かな事は出来ない。それに明日は出陣である。いつまでもこんな所にいるわけにもいかない。さっさと帰って明日の作戦の見直しもしなくては。

それにそんな度胸も、無い。

甘寧が誰かに愛を語る姿など、絶対に、見たくない。何が何でも、見たくない。

だから、陸遜はせめてその姿でも見てから帰ろうと思ったのだ。
甘寧と結婚する事のできる、きっと、陸遜が羨望の対象にするであろう女を。

陸遜は思わず唇を噛み締める。
姿を見たこともない人物に嫉妬する自分を、卑しいと思いながら。
それでも羨ましいと思わずにはいられない。

彼と、寄り添って、人生を歩んでいける。彼の、傍で暮らせる。
それがもしも自分だったら、どんなに・・どんなに。

ここまで考えて、陸遜は「馬鹿馬鹿しい」と声には出さずに呟いた。
本当に、馬鹿馬鹿しい。



陸遜は依然として息を潜めながら甘寧の後を尾行していた。
すると、

「・・!」

ふと、甘寧が歩みを止める。陸遜もそれを見てピタ、と音も無く建物の影に隠れる。
甘寧の方を見ると、彼は、目の前にある建物の中へ向かい、声をかけている。どうやらこの家に甘寧の結婚相手は住んでいるらしい。一見した所、何か店を営んでいるように見える。ここからは見えないが、入り口の傍に小さな旗がひらひらとはためいていた。


甘寧は、その相手から返事が返ってきたのか、1歩引いて、少し身体から力を抜いたようだった。

そして陸遜は、その光景を見て心臓がどんどん冷たくなっていくのを感じていた。
拳を握ると、じわ、といやな汗が滲むのがわかる。目を凝らして、建物の入り口を見ている。もうすぐ、見る事が出来る。

どんな女性なのだろう。と陸遜は考えた。
甘寧の妻になるくらいだ。さぞかし綺麗で・・美しい・・
そして、
人影が一つ。甘寧の前に現れた。


「・・・・・・・・!!」


女性は、甘寧の前へ進むと、にっこりと笑い。甘寧を唐突に抱きしめた。
甘寧は、一瞬戸惑っていたようだが、自分も同じようにその女の背中に腕を回す。

陸遜は、唇を、噛んだ。
目を細めて、拳を握った。


現れた女性は、



陸遜と、同じ髪の色をして、陸遜と、同じ瞳の色をした女性だった。





そして陸遜は、そっと自分が隠れていた建物から離れた。
もう、終わった。何もかも、終わった。半分しか開かない目を何度もこすった。それでも、あの光景は瞼に焼き付いて離れなかった。

ああ、そうだったのだ。
甘寧は、あの女性に自分が似ているから、だから優しくしてくれていたのだ。

自分の恋人に似た人間に、そんなに悪い気はしないだろう。だから甘寧はあんなにも自分を構ってくれたり、何度も飽きるほど部屋を訪ねてくれたし、何度も酒を一緒に飲もうと誘ってくれた。

城にいる間や、戦をしている間は恋人と一緒にいる事は出来ないから。
だから、私は彼女の代わりだった。
気づいてみれば、それはとても簡単な事だった。元々甘寧を惹きつける魅力など持ち合わせていなかった自分がどうしてこんなにも構ってもらえたのか。よくよく思うとそんな事は考えたら一瞬でわかる事だった。


『まあ,俺綺麗なのって,大好きだからな』

つまりは、そういう事。



トサ、と。陸遜は道端の壁に凭れ掛かった。
すると壁の土や埃が陸遜の服を僅かに汚し、髪にも埃が少々乗ったようだったが、陸遜はもうそれらを払う気にもなれなかった。

もう、綺麗にしたって甘寧は自分を構ってくれたりはしないだろうから。
もう、綺麗な私でいる意味も無い。



もう、甘寧は、自分をあの笑顔で、名前を呼んでくれる事もないのだろうか。



陸遜の目に、涙が、滲んだ。
もうこの感情も終わりなのだと理解した。
終わりなのだとわかったから、この感情にはもう死んでもらうしかない。

拳を握ろうとしても、力が入らなかった。


もう、どうする事も出来ないのに。


陸遜は、目を細めた。


どうしよう。
甘寧殿。




それでも、

それでも、貴方が好きです。










言うなればこの時の陸遜は、殆ど腑抜けで、抜け殻になっていたと言ってもよかった。
何も考えられなくなっていて、今はいつもの陸遜ではない。
彼の思考能力は今著しく低下していて、だから彼は、


ここが城の中では無いと言う事も、
自分が軍人だと言う事も忘れていた。


そして、例えここが自分の所属する軍であっても、
自分が決して好かれる人間ではなかったという事も。


全て、忘れていた。





「陸 伯言だな」
「!!!???」


突然、陸遜の背後から殺気のこもった声がした。
慌てて飛びのこうとするが、一瞬反応が遅れてしまった。いつもならこんな殺気に気が付かない陸遜では無い。しかし、すっかりと腑抜けてしまった陸遜は、その気に、声に気が付くのがいつもよりほんの少し遅かったのだ。


陸遜が振り向くと、そこには誰も居なく、しかし次の瞬間。

「・・・・・っ!!!」



鈍い音が、した。
後頭部に、鋭い痛みが走る。

目の前が真っ白になり、陸遜は、足の力が抜けるのを自覚した。

「・・・・・・ぁ・・・・・」


倒れこみ、失われていく意識の中で、陸遜は聞いたような気がした。


随分と前、軍議で、今度の戦から陸遜が参戦すると呂蒙が皆に言った時



小さく、馬鹿にしたように陸遜を笑った、あの声を。



(やはり、あの時誰だったのか突き止めておけばよかった)




そこで、陸遜の意識は完全に途切れた。








あ、はい今回は二回で終わらないのです。きっと三回でも終わるかどうか微妙なところです。
同人的にはなんともお約束な展開ですが、一度書いてみたかったのです・・。
次回はきっともっとお約束です。

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