「陸遜何やってんだ?こんな所で」

甘寧が自分に近付きながらにかっと笑う。陸遜は少しだけ首を傾げて苦笑した。

「何をやってるとおっしゃっても。もう今日の仕事は終わりましたのでこれから自室に帰る所です」

あの夜以来甘寧に会って話すのは初めてだったが、なんとか平静を保つことが出来た。どうにか自分は上手くやれているようだ。ちゃんと上手に笑えている自分に、陸遜は内心ホッとした。

「そっかー。んじゃさ、酒飲もうぜ!」

「はい?」

真面目に話を聞いていたはずだが、完全に話の方向を見失う。甘寧との会話では珍しいことではないが、こう強引だと流石に一瞬戸惑ってしまう。

「よし、決定な。子明の部屋にいー酒あるんだよ。行こうぜ!」

まだ頭の中が混乱している陸遜に甘寧は笑いながらそう言うと、陸遜の腕をがっちりと掴み、ぐいぐいと歩き出した。

「へ、あの、私…」

「話なら飲みながら聞くって!」

やはりまるで会話が成り立たない。そんな陸遜の顔も見ようとしずに、甘寧は強引に歩いている。陸遜はなるようになれ、と身を任せる事にした。どうせ、人の話なんて聞いちゃいないんだから。

彼の広い背中が、視界に入る。
思わず、目を細める。


繋いだ手が、とてもあたたかい。切ないくらいに、あたたかい。

陸遜は口をきゅっと結んだ。この前の夜はこの人の言葉にあれだけ泣いたのに、今はただその掴まれた感触が、嬉しくて仕方ない。
腕をつかむその強さに、どうしようもなく泣きそうになる。

ああ、そうなのだ。
この人だけが私をあそこまで絶望へと追いやり、
この人だけが私をそこから救い出せる。

その事実が、痛い。





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「でよでよ、そん時あいつなんつったと思う?」

「まったく…だからあの時俺の…」


言われるまま呂蒙の部屋に導かれた陸遜は、3人で酒を飲む事になった。
そして次々と杯を重ね、ふと気付いた頃には

「ちげえーーーっつうの。だからてめえが悪い!!」

「ははは!!興覇、物凄い巻き舌だったぞ!!」


完全に、二人は酔っ払っていた。陸遜も陸遜で時々話に相槌をうっては甘寧に酒を注ぎたされる。しかも加減を知らない甘寧の事。それは豪快に。

元来そんなに陸遜は酒が飲める方ではない。更に、陸遜の回りには今酒に強い甘寧と、呂蒙。だから余計に飲む量はどんどん陸遜の限界に近付いて行く。酔っ払って騒ぎ立てる事は無いが、その代わりと言ってはなんだが・・・


気持ち悪い…

気がついた時には、その酒量は、陸遜限界値などとっくに超えた後であった。
頭の奥で何かがぐるぐると回っていて、身体は暑いのにどこか芯が冷たいような気もする。
これは、完璧に酒に飲まれてしまったな、とふわふわする脳みそで理解する。

しかし、この酒気に満ちた空気の中にいては絶対酔いが覚める事は無いと理解した陸遜は、部屋の外で風にあたろうと、あまり上手く動かない体になんとか気合いを入れ、よろりと立ち上がった。

「りくそぉん?どこ行くんだ?」

舌が微妙に回っていない甘寧に一言、いえ、少し。と答えると、陸遜はふらふらと部屋の外へ出て行った。
外に出ると、生ぬるい風が、さらりと陸遜を迎え入れる。

「少し飲み過ぎました……」

一人呟いて、陸遜はふるふると頭を降った。髪がさらさらと揺れて、心地よい空気が絡む。その後すぐにチクリとした頭痛が襲ってきたので、陸遜は、思わず深く溜め息をついた。

いつもの自分なら、決してこんな無茶な飲み方はしないはず、しないはずなのに…。
どうしてだろうと考えなくても、原因なんてわかりきっている。

甘寧が、隣りにいたから。この愚かな身体は彼の声を聞いたらどうしても嬉しくなってしまうのだし、また、彼の口から他の人間の名前が出る度に心の奥がもやもやとしてしまい、そうすればまた酒の量が増える。

陸遜は、頭をかかえた。
まったく、自分という人間は。


一体甘寧をどうしたいのかわからない。どうして欲しいのかもわからない。

彼にこの心の内を告白してしまうつもりはまったくない。そんな事をして、彼に嫌われてしまったらもう本当に死にたくなってしまうかもしれない。だから、彼が自分の思いに気付く事は絶対に無いし、彼が自分を「そういう」目で見る日も、絶対に無い。

確かに隠し通すのは辛いけれど、彼を失う事に比べたら。

それなら、一生、体の奥に、がんじがらめに縛り付けて。
私は、彼の望む私でいればいい。




それにしたって、

こうも一日中甘寧の事ばかり考えている自分に、ふと冷静になる。執務をしながら彼の足音を待ち、擦れ違えば行く先が気になり。

はあ・・と、一つ。大きなため息。
陸遜は、ゆっくりと夜空を見上げた。


「終わってる…」



「何が終わってるんだ?」


「うひゃあぁあ!!!」


ふいに背後から声をかけられ、なんとも間抜けな声を出してしまう。

「んだよ。そんなに驚くこたーねえだろうがよー」

陸遜の反応に驚いた甘寧は、思わず1歩後ずさる。陸遜は申し訳ありません、と謝った。
実際何が悪いかなんてこの酒でふやけた頭では考えていなかったけれども。


「どーした?もう酔っ払いかあー?」

甘寧が、陸遜の横に並んで、にかっと笑う。もう、も何も既に何本の酒を空けたと思っているのだろうか。そんな事を頭の片隅で考えながら陸遜は、「はい、少し」と小さな声で答える。

「だらしねえなあ」

そう言いながら、甘寧は自分の右手に持っていてた酒を、ぐい、と豪快に煽る。ぷはあ!!と大げさに息をして、彼は何がそんなに楽しいのか知らないが、至極満足気に「うんうん」と頷いた。

「甘寧殿は、大丈夫なのですか?」

風が吹くたびに痛くなる頭を押さえて、どうにかこうにか陸遜は笑う。顔の筋肉を動かしても、どこか身体の中がぐるぐると渦巻くようだ。

「俺はーー!!」

「えええ!?」

急に甘寧が大きな声を出したので、陸遜は驚いてしまう。甘寧はもう一度酒を煽った。完全に目が据わっている。陸遜は思わず目を見張ってしまう。

「俺は、お前のそーいう所がまったくもって気にくわねえーー!」


がばっ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?


気が付くと、陸遜は、
甘寧に力の限り抱きしめられていた。



ええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!????


さっきまで陸遜の中にあっただるい眠気は一気に吹っ飛び、その変わりに頭の中は大混乱に陥る。
文字通り、である。

甘寧は、その陸遜のそれより太い腕で陸遜を抱きしめていて。
甘寧の体温がダイレクトに伝わる。キツイ酒の匂いと、それから、
甘寧自身の、匂い。

陸遜はもうどうしたらいいのか完全にわからなくなっていて、完璧にパニック状態に陥っていた。どうして甘寧が自分の事を抱きしめているのか、いやその前に言っていたセリフの続きは。いややはり甘寧が自分を力の限り抱きしめているのが問題だ。大問題だ。
密接すると身長の差がいつもよりはっきりと感じられて、本当に力いっぱい抱きしめられているので、少し苦しくて、ああそんな事考えている場合じゃなくて!!


「かかかかかかか甘寧殿・・・!?」

力一杯の動揺を言葉に滲ませながら、陸遜はどうにか言葉を紡ぎだした。
自分の顔が、かなり熱くなっているのがわかる。


返事は、無い。

どうしよう。
このままでは、自分の心臓の音すら甘寧に伝わってしまいかねない。
どうしようどうしよう。お願い。お願いだから・・早く。

「甘寧殿ぉー・・・」





「ぐー・・・・」






・・・


なんですと?




陸遜の耳元に聞こえるのは、甘寧の気持ちよさそうなぐうぐうという寝息。



(こ、・・・この野郎・・!!!)

自分がパニック状態に陥っているのにもかかわらず平和そうに寝こけている甘寧に思わず陸遜は殺意を覚えてしまう。自分の今の慌てようをどうしてくれるんだ。これではまるで、ただの


ただの。
ただの、何だって言うのだろう?





その時、風が、一吹き。

陸遜と、甘寧を、包み込んだ。

ふわ、と、甘寧の匂いが漂って、陸遜は、目を見開いた。
甘寧の身体を支える腕が、少し、震える。



ああ・・・。



風が、吹く。

陸遜は、目を閉じて

あまりに自分に近付いているその、首筋に、


ほんの、
ほんの一瞬。



「・・・・」


掠めるように、
口付けを、した。



(私は、馬鹿だ)



陸遜の、両の目に涙が滲んだ。



(私は、本当に馬鹿だ。)



こんな事でしか、私は。


もう一度風が吹いたけれども、
自分の涙の匂いばかりで、もう彼の匂いはわからなくなってしまった。








よ、ようやく起承転結の承まで終わりました!あとは転んでシメるだけ!

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