あの人は、綺麗なモノが好き。
そう大して秀でた所も無い私をあそこまで構って、可愛がってくれたのは
きっと。私が。
だから、私は。
華一片 六
掠めるように
「陸遜!」
廊下を歩いていた陸遜は、ふいに呼び止められて足を止める。振り返ればそこにはこの孫呉の姫君、孫尚香がいた。
「姫様」
答えると、孫尚香はにっこりと笑って自分に近付いてくる。陸遜は一歩後ろに下がり、深く礼をしようとしたのだが、「いいのいいのそんな堅っくるしいのは」と肩をポンと叩かれてしまった。国の姫なのだ。堅苦しいも何もないと思うのだが、それでも孫尚香はにこにこと笑顔で話した。
「ねえそれよりも陸遜、ちょっと顔あげて」
孫尚香がそういいつつ陸遜の肩に手をかけた。突然肩に触れられて、何事かと思った陸遜だったが、おとなしく言われた通りに顔をあげると
きゅきゅ。
「これでよし。ちょっと帽子がゆがんてたの」
そう言って、またも孫尚香はにこっと華のような笑顔を陸遜に向けた。
「あ、そ、それは失礼致しました姫様」
陸遜が少し慌てて言うと、孫尚香は「いいのいいの」とひらひらと手を振る。孫策と良い彼女といい、本当にこの孫家の血筋の者は、主と臣下という間柄を感じさせない雰囲気である。それがこの孫呉に人を引き寄せる長所でもあるわけだが。
「私がこういうの、気になるもんだから。それにしても・・」
孫尚香が言葉を濁らせたので、陸遜は疑問符を浮かべた。彼女は不審そうな目でこちらを見ている。ジロジロと。陸遜が不思議に思っていると。
ぶに
「!!」
「陸遜のほっぺ、やーらかいわねえ・・」
孫尚香が、いきなり陸遜の頬をひっぱってきたのである。痛くはないがなんとも間抜けな顔をしているだろう事は確かである。陸遜はなんとか手を放してもらえないだろうかと焦るが、彼女は依然として頬をふにふにと引っ張り続ける。
「ひめひゃま。あにょ・・・」
「何よこの肌。何のお手入れもしてないくせにこのキメと弾力。まったく、女を馬鹿にしてんのかしら」
「ひょんにゃほほあいまひぇん」
「何言ってるかわっかんないわよ」
「あぅ・・」
最後にきゅっと軽くつねると、孫尚香はようやく陸遜の頬から手を放した。陸遜が軽く頬をさすると、孫尚香は悪戯そうににかっと笑う。
「まったく、負けちゃうわ。男の子なのにそんなに綺麗だなんて、羨ましい」
綺麗
ですか。
陸遜は一瞬心の中でその言葉を繰り返し、そして困ったように笑った。
「何をおっしゃいますか。姫様こそ」
「誉めても何も出ないわよっ!」
あははと快活に笑って、陸遜の向かっている方向とは反対側に孫尚香は歩き出した。
「大事にしなさいよー!」
背中を見せたまま、ひらひらと手をふって。
そんな背中を見送り、陸遜は、ふ、と小さく笑みを漏らす。まったく、あの姫君には敵わないなあと目を細め、また、孫尚香の言葉を胸の中で反芻させた。
「綺麗・・か」
やはり、自分のこの顔は他人の目から見たらそう見えるらしい。鏡を見たら何の変哲も無い顔だとも思うのだが、まあ事実として受け入れてしまえ、と理解する。
綺麗、きれい。
『まあ,俺綺麗なのって,大好きだからな』
彼が、私を綺麗だから好いてくれているのであれば。
先日の夜、陸遜は決心した事があった。
彼の部屋の前で彼と仲間の会話を聞いてしまったあの夜。
どうやら、そうらしい。
甘興覇は、陸伯言という人間を、そういう目で見ていたらしい。
だから、今まで可愛がってくれた。そう、話していた。
陸遜はそれを知った時、どうしようも無く悲しくて泣いた。何が悲しいのかもわからなくなる程に、永遠とも思われる程長い時間、泣いていた。
ぎゅっと唇をかみ締めて、彼の言葉と笑い声とがずっとずっと陸遜の頭を占領してどいてくれなかった。
そうしたら、まるで洪水のように。好きだという気持ちだけがどんどんどんどん強くなっていって、陸遜はまた泣いた。
なんと言う残酷な事に気づいてしまったのだろう。知らなければよかった。気がつかなければ良かった。
しかし、どんなに強く扉を叩いても、その想いを隠すことはもはや不可能だった。
そして、泣きつかれて寝てしまい、目覚めた時に、彼は決心する。
それでも、あの人の傍に居たい。
『まあ,俺綺麗なのって,大好きだからな』
では、私が、綺麗でいれば、あの人は。私を、まだ。
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チリン
ふと、陸遜は歩みを止める、先程孫尚香が歩いていった方向・・つまり、自分の後方、
あの、音がする。
「りいくそん!!こんな所で何してんだあ!?」
貴方がそう望んでくだされば、私は。
そして、陸遜は文字通り華のような笑顔で振り向いた。
続