風が切れる音がした。
「すっっっげー・・・」
甘寧はいつの間にか自分が感嘆の声を出している事に気が付いた。
陸遜は自分のすぐ隣で,甘寧が大きく口を開けて息を吐いているのを見る。
どうやらこの人は自分の弓の腕を知らないらしい。と言っても,世に知れ渡る程の腕でも無いし,せいぜい人より少し命中率が高いぐらいだろうと理解している。
にもかかわらず甘寧は先ほどからしきりに自分が矢を放つのを見て感動してくれているのである。
「それほどの腕ではありませんよ」
陸遜は弓を降ろし,少し笑う。呉の国は広いし,立派な武将も揃っているのだろうからこのぐらいで感動するのはおかしいと思ってはいるのだが,どうも,この人に誉められると悪い気がしない。
不思議だな。
どうしてだろうな。
陸遜は,自分が放った矢の軌跡を目で追いながら,獲物を取りに行こうと馬を出そうとする。
甘寧はそれに気づくと,自分の乗っている馬の手綱をひっぱり,自分も行くという意思表示をした。
「それにしてもさあ」
甘寧が,馬をゆっくりと歩かせながら言う。
「はい」
「陸遜って割と何でもできるよなあー」
甘寧は,世間話をするような口調でそう言った。
陸遜はその様子を見て,少しだけ黙ったが,すぐにまた口を開いた。
「そんな事も無いですよ」
なんでも出来る 凄い 全てにおいて優秀である。
陸遜にとってそんな事は当たり前の事だったし,それで誉められる事もいつもの事だった。(とは言っても本心から陸遜に感心して誉めている者など一握りしかいなかったが)
だから,陸遜は甘寧が「陸遜は何でも出来るのだ」と言って誉めたときには,正直,少しだけ微妙な心境になった。ああ,この人もこうっやって私の事を誉めてくれるのだなあ,と。
それはとても嬉しい事。だけれども。
「りくそーん。見て見て。ウサギ」
甘寧が嬉しそうな顔で兎を片手に持って陸遜の方を振り返る。自分が仕留めた獲物でも無いのに,それでも嬉しそうに,楽しそうに,ヘヘ,と笑う。
陸遜は思った。
甘寧の笑顔は,見ていて,キラキラ光って,とても。
とても,眩しい。
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二人がようやく城に戻ろうと思った時には既に日は傾いていて,お互いの顔が薄暗くてよく見えない時間になっていた。
「いつの間にかこんな時間だな」
「そうですね。呂蒙殿に怒られてしまうかもしれません」
陸遜はそう言いながら,少しだけ馬を早く進めた。
「いや,別に大丈夫だろ」
甘寧が「だって子明だしなー」と言ってぎゃはは,と笑う。陸遜はああ,またこの笑顔だ,と思って,少しだけその笑顔から目を逸らした。
風が心地よく吹いて,気温もちょうど暖かい。今日のような陽気がずっと続けばいいのになあ。と陸遜はなんと無く思っていた。すると,
「俺さあ」
甘寧が,いきなり話を振るものだから,陸遜は少し慌てた。「なんですか?」と返すと,甘寧は,今まで前を向いていた目をこちらへと向ける。
「俺さ。陸遜って,なんかこうもっとひょろっこいもんだと思ってたよ」
「はい?」
陸遜は言われた意味がわからず,思わず甘寧に聞き返してしまう。いつだって甘寧は突然わけのわからない事を言うのだ。少しは筋道を立てて話をしてほしいと思うのだが・・・・
「なんつうの?陸遜ってさ,年もまあ若いんだけど,結構女っぽい顔してるじゃん?」
その一言を言われただけで陸遜は少し眉をひそめる。慣れてはいるが,そう何回も言われていい気分のするものではない。
「だから・・なんつーか,ちょっとした錯覚みたいなもんをおこしてたんだよな。俺。体だってそんなにでけえ方じゃないし・・俺がお前くらいの年の時には確かもう今とあんま変わんなかったような気ーするし」
陸遜は,ますます甘寧が何を言いたいのかわからなくなり,首をかしげる。すると,甘寧は何が違うのだからもわからないが「あー違う。違うんだけどよ」と頭をがしがしと掻いた。
「だから,勘違いしてたんだ。こういう線が細い感じの,いかにも軍師ーって顔で。とてもじゃねえが戦場なんかには立てなさそうで・・なんつうか。守ってやらなきゃいけないっていうの?そう思ってたんだけど・・・」
「けど?」
「俺,勘違いしてた。お前,すげー強い」
「・・・そうですか」
どう反応したら良いかもわからなかったので,陸遜はとりあえずそう言っておいた。私が強いからと言って,だからと言って何がどうなるんでしょう?私は何とこたえれば?つくづくわけのわからない人だ。本当に,意味がわからない。
と。
「甘寧殿,蜘蛛・・」
陸遜は,甘寧の肩の辺りに,大きめの蜘蛛が止まっているのを見つけた。別に害のあるものでも無さそうだったが・・とりあえず,近寄り,片手でひょいとつまんで蜘蛛を道端へと放り捨てる。
「そうそう。なんか変にお前にわけのわかんないイメージついちゃったからさー。こうやって,虫とか普通に掴むのとか見ると,なんか,へえ・・って思う」
陸遜は、小さく噴出した。
「な、なんですかソレ・・」
「なんていうの?虫とか見たらさー。『甘寧殿、蜘蛛・・』とかじゃなくて、『わ、わ、蜘蛛・・どうしよう・・!』みたいな・・・わかるか?」
陸遜は呆れ返ったように息をつく。
どうやら、自分は弟でもなんでもなかったらしい。新しい女を見つけたつもりでいたのだろうか?この男は。
「そんな女々しい事言いませんよ。女じゃないんですよ?私は」
「悪いって。でも、そんな感じしたんだよ」
戦場で何人も殺す姿が女らしかったとでも言うのだろうかこの男は。
呂蒙が言った言葉を頭の中で思い出しながら、陸遜はため息をついた。
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ようやく、城に帰って来たのは、もう辺りを黒が多い尽くしていた頃だった。
二人で馬を厩舎に連れていき、繋いでおく。
「では、中へ入りましょうか」
陸遜が言う。
甘寧が頷こうとしたその時、ガサ、と何か草の動く音がした。
「なんだあ?」
と甘寧が言いながら草むらへと近付く。甘寧が無防備に近付くくらいだ。間者などでは無さそうだが・・・
「うおっ!」
甘寧の、驚いたような嬉しがっているような声が陸遜に届いた。
「甘寧殿?何が居たんですか?また虫ですか?」
陸遜が聞くが、甘寧は一向に応えようとしない。何かが甘寧の腕の中で動いているような・・
虫にしては大きすぎる。何だろう・・
「甘寧殿?」
「見て見て陸遜、猫!!」
にゃー
「ッッッッッうわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
静かな呉の夜に、陸遜の叫び声がこだました。
急に叫び声を上げた陸遜に、甘寧は驚いてしまい、思わず草むらにしりもちをつくというなんとも武将にしては情けない格好をしてしまう。陸遜はというと、一目散にその場からその俊足で離脱し、今は厩舎の影に隠れて体を小さくしている。
甘寧は何がなんだかよくわからず、猫を抱いたまま陸遜に近付く。
「陸遜?どしたんだ?」
「わああああ!!よらないで下さいそれをこっちに近づけないでくださいじゃないと燃やします今すぐ燃やします!!!!!!」
陸遜は完全にパニック状態に陥っており、甘寧は疑問符を次々に頭の上に並べた。
何 が ど う な っ て る ん だ ?
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「嫌いなのか?猫」
「嫌いというか、苦手というか・・身体がうけつけないと言うか・・」
甘寧がとりあえず猫を逃がして、燃やすだの油だのなんだか危険な事を言っている陸遜をなんとかなだめ終わったのはそれから少したってからの事だった。陸遜はようやく落ち着きを取り戻したようだが、まだ時々小さく痙攣している。
「つくづくわっかんねー奴だな。何で猫?」
甘寧はまるで呆れているかのように、でも何だか楽しそうに笑った。笑うなんてまったく酷い。陸遜は本気で怯えて怖がっていたというのに。
「何故かは知りません・・。でも、どうしても駄目なんです。怖いんです。猫」
言って、陸遜は「でもこんなのって変ですよね・・」と肩を落とした。
すると、甘寧は大きな声で笑い出した。
馬鹿にされるだろうとは思っていたけれど、そんなに笑わなくてもいいじゃないか・・。
陸遜はもちろんそれが面白いわけは無く、思わず甘寧に背中を向けてしまった。
「ははははは!!!お前って何か本当に面白いやつだな!」
何ですかそれ!私は至極真面目な話をしているのに!!!
「だって、猫だぞ?猫!普通は可愛がるもんだろー!」
どこがですか。全然可愛くないですよ。
「はー笑った。お前って本当に、想像つかねーよなー」
いつもいきなりとんでもない事言い出す貴方より全然ましです。
「お前って、何かすっげー可愛いな!!!」
「えっ?」
思わず、振り向く。
そこには、あの、笑顔。眩しいくらいの、笑顔。
突然頭の上に何かが降ってきたと思って、驚いて反射的に目を閉じると、
わしゃわしゃ、と大きな手で頭を撫でられた。
息が、出来なくなる。
「甘寧殿」と言おうとして、陸遜は自分が口ばかりぱくぱくと動いて、声が出ていないのに気づいた。
頭の上には大きな手が乗せられていて、目だけで甘寧を見ると、子供のような笑顔でにこにこと笑っている。「お前、本当に可愛いよ」と何度も繰り返して。
陸遜は、息が出来る方法をなんとか探すが、どんどん苦しくなるばかり。どんどん胸が苦しくなって、痛みをも覚えて・・・。
目を合わせたら、やはりその笑顔がどうしようも無く眩しくて見ていられなくて、
陸遜は目を細めた。
甘寧が、にっこりと笑って、鈴と一緒に笑って、「ぎゃはは」ともう一度楽しそうに笑った。
かくれんぼ
かくれんぼ
見つかったモノは、もう隠せない。
その気持ちの名前はなんだろう?
色々回りくどいようですが、要は陸遜が甘寧に惚れかけちゃった。みたいな・・・。あと、展開が早いので(これ以上ゆっくりしたカンジに書くと10話ではとうてい終わらない)なんか内容が薄くなっているような・・やべっ。もっと、こうねちねちと陸遜がどんどん甘寧にはまっていくサマをかきたいのですが(病気)